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【メルマガ日台共栄:第647号】 指導者の力量(1)[前台湾総統 李 登輝]

2007/11/21



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<<INDEX>>―――――――――――――――――――――――――――――[Vol.647]
1>> 指導者の力量(1)[前台湾総統 李 登輝]
2>>【書評:『李登輝訪日・日本国へのメッセージ』】三十人がつづる李前総統との縁
3>> 11月29日(木)、NHK衛星(1)が「知られざる台湾少年工史」を放送
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1>> 指導者の力量(1)[前台湾総統 李 登輝]

 9月10日に発売されたPHP研究所の「Voice」10月号に、李登輝前総統が「指導者の
力量─リーダーとしての決断力と現場主義」と題して特別寄稿されていた。

 今年1月末、台湾で李前総統の「壹週刊」発言問題が惹起したとき、作家の井沢元彦
氏と「SAPIO」誌で対談した李氏は「日本の雑誌でも語ったことですが、私が考え
る指導者の条件には5つあります。第一には、自分なりの信仰を持つこと。私はクリス
チャンだから、判断に迷った場合も最終的には『公義の精神』と『愛』という2つを原
則に決断をしてきました」(2007年2月28日発行「SAPIO」誌、本誌)と述べられて
いたが、この「日本の雑誌」とは「Voice」2007年2月号のことで、「指導者の条件─
『総統』として私が心掛けたこと」と題して寄稿されていた。

 今号より3回にわたって紹介する「指導者の力量」はそれに続く指導者論だ。日本訪問
時の感想や安倍政権の問題点、政治家と官僚の関係、台湾が進むべき方向などについて、
具体的に述べられている。

 なお、本文は著作権者および出版社の許諾を得て掲載をしていますので、他への転載
および送信を禁止します。                      (編集部)

■PHP研究所「Voice」
 http://www.php.co.jp/magazine/voice/
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特別寄稿 指導者の力量─リーダーとしての決断力と現場主義(1)

                             李 登輝(前台湾総統)

■人事を決める冷徹な心

 五月三十日より日本に赴き、十日間にわたる文化・学術交流ならびに「奥の細道」探
訪の旅を楽しんだ。今回の旅は、私にとって一生の思い出になるだろう。

 なかでも「後藤新平の会」が主催する後藤新平賞の第一回受賞の光栄に浴したことは、
無上の栄誉である。あとに述べるように後藤新平は、私にとって偉大な精神的導きの師
である。このような賞が創設され、後藤新平という偉大な人間像が認識されるようにな
ったことは、彼のもつ強い精神性が国家や社会にとって、いまこそ必要とされているた
めであるように思う。

 一方、「奥の細道」を訪ねる旅では、日本文化の特徴である、生活における自然との
調和を実感させられた。高い精神性と美を尊ぶ心の混合体こそ、まさに日本人の生活で
あり、日本の文化そのものである。有史以来、日本は大陸および西方などから滔々と流
れ込む変化の大波のなかで、驚異的な進歩を遂げつづけた。そして一度もそれらの奔流
にのみ込まれることなく、独自の伝統を立派に築き上げた。この優れた文化が、進歩し
た社会のなかでいまだに失われていないのは、日本の素晴らしさの一つである。

 外来の文化を巧みに取り入れながら、自らにとってより便利で都合のよいかたちに作
り変えていく。このような文化の築き上げ方は、一国の成長・発展にとって非常に重要
である。その天賦の才に恵まれた日本人は、そう簡単に日本的精神や伝統を捨て去るは
ずがないと、私は固く信じている。

 ただ、このような素晴らしい文化と精神性をもつ日本は、国家の状況としては、いま
きわめて大変な立場にある。二〇〇七〜二〇〇八年にかけての東アジアは、激動の季節
を迎える。韓国、台湾、オーストラリアで大統領や総統、首相を決める選挙が行なわれ、
大陸中国、北朝鮮、ベトナムの三つの共産党国家でも党内上層部人事の再調整がなされ
る。東アジア各国では内部権力が再分配され、外交よりも内政に力を注ぐ時期となり、
同時に準備と転換の年になる。

 そうしたなか日本は東アジアをリードする生命力と創造力を発揮することが求められ
るが、七月下旬の参議院選挙で安倍政権は大敗し、政治状況がきわめて不安定化してし
まった。今回大勝した民主党の小沢一郎代表については、政権を握ることだけが目的で
あるかのように感じられる。これでは大陸中国をはじめ、諸外国に付け入る隙を与える
ばかりである。まずは、国全体が静かな安定した状態になることをめざさなければなら
ないだろう。

 今回敗れはしたが、私は安倍総理の政治姿勢や価値観については高く評価している。
これからの日本が向かうべきは、教育を徹底的に改革することであり、これは国民のア
イデンティティを高めるうえで何よりも重要である。さらには国家安全保障会議を創設
し、憲法を改正して安全保障体制を強化する。そうして日本は初めて「普通の国」にな
れる。安倍総理は日本をそのような方向に導こうとしている。これはまったく正しい。

 ただ問題は、人事を掌握できていないことである。安倍内閣の閣僚からさまざまなス
キャンダルが出てくるのは、組閣の際に徹底的に調査していないからである。

 人事選考について、かつて私の上司であった蒋経国総統から教えられたのが、「奥さ
んを見なさい」というものである。奥さんの行動や姿勢に問題が多いと、必ず主人にも
問題が生じる。主人が汚職をしたり堕落する場合、多くの場合は奥さんが悪い影響を与
えているという。非常に道理があると納得した。

 また私は信仰をもつ人を大事にしている。指導者の条件としてまず初めに挙げたいの
は信仰である。それがどんな宗教であれ、人間は信仰があって初めて強い信念をもつこ
とができる。信仰はフィロソフィー(哲学)と言い換えてもよいかもしれない。安倍総
理を取り巻く首脳陣のなかには、奥さんに問題が多い人や、フィロソフィーのない人が
多いのではないか。そのため、ミスや不祥事が続き、結果としてトップが苦労すること
になっているのだ。

 人事で苦労した指導者といえば、明の皇帝・朱元璋もその一人である。易姓革命を成
し遂げ皇帝になるに際して、それまで彼を支援してきた人間たちを取り立てた。しかし
それらの人々が汚職などの不正を働き、政権は大きく揺らぐことになる。彼はおそらく、
革命を成し遂げる以上の苦労をしたはずだ。

 安倍総理も人事で同じような苦労をした。総理は育ちのよい“お坊ちゃん”なので、
情けが深く、つい妥協もしやすいのかもしれない。だが人事を決定するにあたっては、
冷徹な心で臨むことが必要である。

 私についていえば、私が総統になっていちばん悔しい思いをしたのは、ほかならぬ私
の親戚たちだろう。十二年間も総統を務めながら、一人として地位に就かせなかった。
トップに立つ人間が親戚を重要ポストに就けるのは、アジアでは常識である。だが私は、
あえてこれに逆らったのである。

■官僚が阻む日本の創造性

 もう一つ、日本の生命力と創造性の発揮を阻んでいるのが、官僚の存在である。たと
えば外務省はチャイナスクールにより、旧態依然とした考え方からまったく抜け出せず
にいる。今回の私の訪日にあたっても、外務省の官僚のなかには大陸中国との関係を慮
って難色を示す者がいたそうだ。だがすでに大陸中国の上層部が、私の訪日に対して強
いプレッシャーをかけてくることはない。安倍総理も麻生大臣も、そのことはわかって
いる。チャイナスクールだけ、そのことがわかっていないようだった。彼らは状況の変
化を把握しようとしないのだ。

 また官僚は、新しい提案については「法律上問題がある」としかいわない。その法律
がそれこそ百年前につくられたもので、「時々刻々と時代状況は変化している」とこち
らが主張しても、頑として認めない。

 戦後の日本は、このような考え方をする官僚がほぼすべてを司ってきたという印象で
ある。これだと法律に従って動くだけで、法律にない新たなことはなかなか生まれてこ
ない。これまで日本は発展を遂げてきたが、今後のさらなる繁栄は阻害されてしまう。

 官僚のそのような姿勢は、現場を知らないことにもよる。日本の知人から聞いた話だ
が、日本の学校は南向きに校舎を建てることが法律で定められているという。だが南向
きの校舎は、北海道ならよくても、沖縄だと夏は暑くて大変だ。北向きにしたいと訴え
ても、官僚は「法律で決められたことだからダメだ」という。おかげで沖縄の生徒や先
生たちは、かんかん照りのなか、汗だくで授業をやっているという。中央にいて法律し
か見ていないから、現場の人間に思いが至らないのだ。

 私は台湾で官僚を経験してきたが、つねに心掛けていたのは現場に行くことである。

 三十歳ごろだったが、官僚として最初に赴任した雲林県では、農村の人々が本当にひ
どい生活を送っていた。茅で覆ったみすぼらしい家に住み、そこに牛など動物も住んで
いる。おかずは芋しかなく、水道もない。そんな暮らしを見て気の毒になり、大規模な
土地整理を実施することを決意した。土地整理を行なって土地を農民に分配し、その後、
豚小屋をつくって一戸につき一〇〇頭の豚を飼わせ、その隣に住居をつくって住まわせ
たのである。

 政府から台北市長に任命された際にも、私は農家を歩き回った。台北市郊外の山の上
では花や果物、お茶の栽培をしており、そこには百年以上前に建てられた古い家が、一
二〇〇戸も残っていた。中は真っ暗で窓がなく、便所もなければ入浴する場所もない。
とても人間的な暮らしではないと思い、農家のための新しい家を建てることにした。政
府の建築管理部門の役人からは、書類がきちんと揃っていないなどといわれるなど、か
なりの抵抗を受けたが、人々の暮らしのために頑としてはねのけた。

 同時にアスファルト敷きの道路をつくり、トヨタ製の小型バスを走らせ、一〇元でど
こでも停まれるようにした。さらにみかんとお茶については、全品種の改良を行なった。
お茶園では休日、市民が散歩する際にお茶を提供するようにした。やがてこれが観光化
し、その地・猫空はお茶どころとして知れ渡るようになった。そして今年、地下鉄の終
点からロープウエイが引かれ、観光地としてますます栄えている。

 こうした現場主義は、総統になってからも変わらない。一九九九年に台湾大震災が起
きた際には、すぐさまヘリコプターで被災地に赴いた。大震災で最大の問題は、死んだ
人間をいかに早く弔うかである。それについて現地で陣頭指揮を執って対応した。余談
になるが、昭和二十年三月十日の東京大空襲の直後、陸軍軍人として焼け跡で経験した
ことが、そこでは大いに役に立った。

 また、被災地に資金を運び、直接県長に渡すこともした。政府が資金援助を決めても、
手続きを踏んで実際に地方にまでそのお金が届くのはずっと先になる。しかし現場では
そんな悠長なことはいっていられない。そこで直接資金を渡したのだが、小さい村は一
〇〇万元、大きい村には二〇〇万元と、具体的な金額まで私が決めた。官僚に任せても
現状に追いつかない、適切な判断ができないとわかっていたからだ。

 一方、政府の復興委員会は副総統や行政院長(首相)に任せ、私は現地で報告を受け
るだけにした。結局、震災後三十日のうち二十一日は現地にいて、さまざまな指示を出
したことになる。

 今年七月に新潟で中越沖地震が起きたとき、安倍総理もすぐ現地に飛んだという。だ
がほんの二時間しか滞在せず、現場で指示をせず、トンボ返りして具体的な対策を立て
たわけでもないと聞く。日本の知人によると、選挙用のパフォーマンスにしか見えなか
ったという。

 現地で状況を的確につかみ、具体的な指示を出しつづける。そのようにして初めて、
官僚の専横を止めることができるのである。               (続く)
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2>>【書評:『李登輝訪日・日本国へのメッセージ』】三十人がつづる李前総統との縁
   中外日報紙が報道した李登輝前総統の靖国神社参拝

 本会編になる『李登輝訪日・日本国へのメッセージ』(まどか出版)が10月末に発売
されて以降、本誌でも心打たれる読後感や出版社に寄せられた読者カードをご紹介して
参りました。11月6日付の「中外日報」(100余年の歴史を持つ総合的な宗教文化専門紙)
が書評を掲載しましたので、ここにご紹介します。

 なお、『李登輝訪日・日本国へのメッセージ』では、「李登輝前総統の訪日に関する
報道一覧」を設けて、ほとんどの主な報道を紹介したつもりでしたが、6月14日付の中外
日報がかなり詳しく報道していたことが最近になって判明しました。

 ここに併せてご紹介します。                    (編集部)

■中外日報
 http://www.chugainippoh.co.jp/
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三十人がつづる李前総統との縁
【11月6日付 中外日報】

李登輝訪日・日本国へのメッセージ−2007旅と講演の全記録[完全保存版]
日本李登輝友の会編

 李登輝台湾前総統は五月三十日に来日し、六月九日に離日した。その間、兄を祀る靖
国神社への参拝や、奥の細道を追体験する様子がマスコミ各社により大きく報道された。
しかし来日から五ヵ月を経た今こそ、当時の熱狂を離れて、前総統が命名した「学術・
文化交流と『奥の細道』探訪の旅」の真意について、静かに考えてみてもよいのではな
いだろうか。

 本書には、小田村四郎・日本李登輝友の会会長や塩川正十郎元財務大臣ら有識者、訪
問した社寺の関係者等三十人が同行記や訪日の意義、歓迎の言葉をつづっている。

 李前総統は今回の訪日で、講演三回と記者会見を行ない、自身の考えをはっきりと打
ち出している。日本の教育を受けた李前総統は、鈴木大拙や西田幾多郎、夏目漱石に感
銘し、新渡戸稲造を通じて武士道を発見したという。

 また第一回後藤新平賞受賞者として、台湾の民政長官を務めた後藤を「偉大な精神的
導師」と評価。後藤が持っていたと思われる、天皇または国家への信仰と、自身のクリ
スチャンとしての信仰に深いつながりがあることを強調している。

 二百枚近く集められた写真は、大部分がカラー。血色の良さや快活な笑顔は、八十四
歳という年齢を感じさせない。

定価一、八九〇円、まどか出版(電話〇三・五八一四・九二九二)刊。
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李前総統が靖国神社を参拝 日本名で祀られている実兄 62年ぶりに“対面”
【平成19年6月14日付 中外日報】

 来日の李登輝前台湾総統が七日午前十時、東京・九段北の靖国神社(南部利昭宮司)
で昇殿参拝をした。神社にはフィリピンで戦死した李前総統の兄、李登欽氏が日本名「岩
里武則」で祀られている。登欽氏の遺髪や遺骨・遺灰は残されていないため、李前総統
はかねて神社参拝の意向を示していた。今回の参拝で戦死した兄との六十二年ぶりの対
面が果たされた。

 李前総統の車は神社北側から到着殿に到着。南部宮司、三井勝生・山口建史両権宮司
の出迎えを受け、本殿で昇殿参拝。参拝後、南部宮司らと日本語で懇談し、約四十分で
同神社を後にした。

 参拝には黄昭堂台湾独立建国連盟主席、作家の三浦朱門・曾野綾子夫妻らが同行した。
拝礼の方法について曾野氏は「靖国神社様のおっしゃる通りに致しました。もしそうし
なかったら、非常に敵対的な感じを与えたことでしょう」と、神道作法に沿って参拝し
たことを明かした。

 曾野氏はまた、李前総統が次のように語ったことを伝えた。

 「靖国神社が(兄を)お祀りしていることに感謝している」「信仰や魂の問題は、各
個人がまったく別々の考えを持っている。それを政治の力で型通りに割り切りたくない。
ただ家族がそれぞれ自由に、愛するもののことを考えることがよい」
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3>> 11月29日(木)、NHK衛星(1)が「知られざる台湾少年工史」を放送

知られざる台湾少年工史 第二次大戦で来日、夢破れ…
【11月20日付 東京新聞】

 第二次世界大戦中、台湾から日本に派遣され、海軍工員として軍用機の生産に従事し
た少年たち。彼らの人生の足跡をたどったドキュメンタリー「緑の海平線〜台湾少年工
の物語〜」が29日、NHK衛星(1)「BS世界のドキュメンタリー」(午後9時
10分−同10時)で放送される。 (近藤晶)

 「少年工の話は、台湾でもあまり語られておらず、こんな歴史があったのかと非常に
驚いた」と、「緑の海平線」のプロデューサーで、慶応大学環境情報学部専任講師の藤
田修平さん(34)は語る。

 藤田さんは一九九九年、映画製作を学ぶため、米・南カリフォルニア大大学院に留
学。「緑の海平線」の郭亮吟監督は、大学院の同級生だった。二人は二〇〇二年、卒業
作品として、郭監督の家族と「ゼロ戦」に関するドキュメンタリーを制作。その取材過
程で、台湾少年工の話を聞いた。

 大戦中、日本の青年男性は戦地に動員され、国内は深刻な労働力不足に陥った。旧海
軍は軍用機生産増強のため、台湾から約三万人の少年工派遣を計画。一九四三−四四年、
約八千人が神奈川県の「高座海軍工廠(こうしょう)」に送られてきた。そこで短期間
の訓練を受けた後、日本各地の軍需工場で軍用機生産に従事したという。

 留学を終えた藤田さんは、海軍工廠の宿舎があった同県大和市に転居し、二〇〇三年
から本格的な調査を開始。台湾少年工に関する公的な文書はほとんど残っていなかった
ため、同市や防衛省のほか、台湾の当時の新聞記事や、米公文書館などで資料を探した。
撮影は台湾、日本、米国、中国で行い、完成までに四年を要した。

 「日本で技術を学びたかった」「田舎は貧しく、就職先は限られていた」。台湾の元
少年工たちは、インタビューの中で応募した動機を振り返る。「半工半読」。働きなが
ら勉強でき、旧制中学と同等の学歴が与えられるという条件から、進学をあきらめてい
た少年たちが数多く応募した。

 日本では、「ゼロ戦」「月光」「紫電改」「雷電」といった戦闘機の製造に従事。し
かし戦局は急速に悪化、学ぶ機会はほとんど与えられず、本土空襲で幼い命を落とす少
年工もいた。終戦と同時に、台湾に戻った者は国民党政権下の厳しい社会の現実に直面
する。一方で日本にとどまったり、その後さらに中国へ渡ったりと、歩んだ道はさまざ
ま。「政府や誰かに頼ることはできず、自分に頼るしかなかった」。異なる道を選んだ
彼らの人生もまた、政治や社会に翻弄(ほんろう)されていく。

 インタビューで元少年工たちは、北京語ではなく台湾語や客家語で語る。「言語的に
抑圧されてきた台湾では、言語というのは非常に大事。一番話しやすい言葉でないと感
情が出てこない。自分自身の歴史に関することは、自分の言葉で語ってほしかった」と
藤田さん。インタビュー取材は、数十人に上った。

 昨年、完成した作品は、台北国際映画祭ドキュメンタリー部門コンペティションで審
査員特別賞を受賞するなど数々の映画祭で高い評価を受けた。台湾では大学などで約六
十回上映、今年二月にはテレビでも放送され、大きな反響を呼んだ。

 「緑の海平線」というタイトルは、少年工たちの風景の記憶に由来している。日本へ
たった彼らの多くが、期待と不安の中、船の甲板から見つめていた故郷が、徐々に“海
平線”に沈んでいく姿を忘れられない風景として語ったのだという。

 藤田さんは「日本、台湾、中国を含めたアジアの歴史はこんなふうに絡み合っている。
元少年工たちそれぞれの人生を通して、もう一度歴史について考えてもらえれば」と話
している。
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