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【メルマガ日台共栄:第624号】 野口毅・高座日台交流の会名誉会長が『遥かなる祖国』(共著)を出版

2007/09/28



>>>>> http://www.ritouki.jp/――――――――――――【平成19年(2007年) 9月28日】

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<<INDEX>>―――――――――――――――――――――――――――――[Vol.624]
1>> 野口毅・高座日台交流の会名誉会長が『遥かなる祖国』(共著)を出版
2>> 心の祖国 [作家 阿川 弘之]
3>> 料理通じて日台友好を─出町淑貴さんの料理教室を青森の地元紙が報道
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1>> 野口毅・高座日台交流の会名誉会長が『遥かなる祖国』(共著)を出版

 本会の前理事で、台湾少年工出身者でつくる「台湾高座会」との交流を続けている高
座日台交流の会の野口毅名誉会長が『遥かなる祖国』を日本政策研究センターから共著
で出版された。

 平成5年、台湾少年工と50年ぶりの邂逅から、戦歿した台湾少年工の!)國神社への合祀、
台湾少年工への卒業証書、在職証明書の発行と授与など、台湾少年工との交流を余すこ
となく語った、月刊「明日への選択」(平成16年2月号)掲載インタビューを収録したも
の。

 再読して、平成15年10月20日、台湾から600名を超える台湾少年工の方々とともに、本
会からも阿川弘之会長(当時)や小田村四郎副会長(当時)、柚原正敬事務局長など約
500名の日本人も参加し、座間市民文化会館で本当に盛会だった60周年大会をまざまざと
思い出した。

 野口氏は「台湾少年工の人たちのことが、このようにして広く世に知られるのは、と
てもうれしいことです。ご覧になっていただきますようお願いします」と述べている。

 本書は、下記にご紹介するように、野口氏の他、シベリア体験など4氏のインタビュ
ーも収録しているアンソロジーだ。久しぶりに心が打ち震えた。

 ご購読は日本政策研究センターのホームページ「最新ブックレットのご案内」からど
うぞ。

 なお、台湾少年工のことについては阿川弘之氏が「文藝春秋」(平成15年8月号)の巻
頭エッセイ「葭の髄から」に「心の祖国」と題して執筆している。本会ホームページで
も紹介しているが、改めて次に掲載してご紹介したい。          (編集部)

■日本政策研究センター
 http://www.seisaku-center.net/

■『遙かなる祖国』
 『明日への選択』編集部編
 A5判72頁 定価500円+税
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 無実の罪でシベリア生活五十年、待ち続けた妻のもとへと送り出してくれたロシア女
性の「無償の愛」。終戦時に別れた台湾少年工が六十年目に訪ねた第二の故郷とは。戦
犯死刑囚をフィリピンから救い出した歌「モンテンルパの夜はふけて」を巡る同胞愛、
内蒙古の日本人を守った響兵団の責任感。九歳の少年が命懸けで越えた三十八度線
等々……。日本への奇跡の生還は何によって支えられていたのか。『明日への選択』掲
載の感動の体験取材記録を一挙掲載。

目 次

シベリア50年で知った祖国の恵み◎蜂谷彌三郎

六十年目の「仰げば尊し」─元台湾少年工との間で結ばれた心の絆◎野口毅

比島のこと、忘る能わず─フィリピンから百名余の戦犯を生還帰国させた一曲◎伊藤正康

内蒙古から邦人を救出した「大和魂」◎畑野憲次

九歳の少年が命懸けで越えた三十八度線◎朝永清之
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2>> 心の祖国 [作家 阿川 弘之]

心の祖国

                     作家 阿川 弘之(あがわ ひろゆき)

【『文藝春秋』平成15年8月号(第81巻 第10号)葭の髄から・76】

 ある会合で中嶋嶺雄さんの「台湾の将来と日本」と題する講演があり、興味深く聞き
終つて会場を出たら、一人の見知らぬ老紳士に呼びとめられた。

「お暇な時、眼を通してみて下さい」

 二冊の薄いパンフレットと一緒に名刺を渡され、それに「高座日台交流の会 会長 
野口毅」と印刷してあるが、拙嵯で、何のことかよく分らない。取敢へずの礼だけ述べ、
家へ帰つて来た。「是非御一読を」と添書きのついた此の種私家版刊行物、実は毎日の
やうに届く。つまらないものが殆どで、期待もしないし平素ろくろく見もしないのだが、
今回のはちがつた。ふと手に取つて、それきり読むのがやめられなくなり、さきほどの
中嶋さんの講演の主旨とも通じる佳話だなと、興奮を覚えながら頁を繰りつづけた。

 前大戦末期、相模鉄道沿線の、当時の呼称で神奈川県高座郡大和に、高座海軍工廠が
あつた。有名な厚木航空基地のすぐ北側、戦闘機「雷電」を生産する敷地30万坪の、此
の工廠構内で、年齢14、15の台湾出身少年工約8400人が働いてゐた。彼らの中には、空
襲で亡くなつて後年靖国神社に合祀される者もゐるが、大部分は戦争終結と同時に日本
国籍を失ひ、やがて台湾へ送り返される。それから60年近い歳月が過ぎた。その間、蒋
介石政権下の台湾では、日本軍に協力した話なぞ禁句だつた時期もあるけれど、口にす
るしないは別として、彼らの日本をなつかしむ気持は非常に強かつた。むろん、それは
今も変らない。

 パンフレットに書かれてゐるのは、もはや70半ばに達した元少年工たちと日本側関係
者との、心をこめた交流の物語であたけしる。名刺の野口毅(たけし)さんは、いはゆ
る学徒出身の海軍士官、九大在学中、主計科短期現役の最後のクラス(第12期補修学生)
を志願し、昭和20年4月、主計少尉任官の直前、任地を高座工廠に指定され、其処で終
戦まで少年工たちと起居を共にした。その縁で、のちに彼らとの交りが復活する。三井
系の会社の社長職を退いて、現在「交流の会」会長をつとめてゐる。

 一方、向ふでも、1987年、戒厳令の解除と言論集会の完全自由化を待つて、「台湾高
座会」が結成された。以来、双方のメンバーが度々両国間を往き来して旧交を温めてゐ
たのだが、今年10月、日本で開催予定の「少年工来日60周年記念大会」には、千名を越
す老少年工たちがやつて来るといふ。

 彼らは、軍に強制徴用されたわけではない。数学、英語、物象、製図、中等学校程度
の教育をしてもらひ、学びながら働いて、工員養成所の学習課程修了後、卒業証書と海
軍技手(ぎて)の資格を与へられるといふ条件のもと、募集に応じ試験に合格した人々
だけれど、そんな約束、敗戦の結果すべて空手形に終つてしまつた。今秋の大会でやう
やく、正式の「在職証明書」「卒業証明書」が授与される。半世紀以上おくれた授与式
のあと、みんなで「仰げば尊し」を合唱したい、それが台湾側参加予定者大多数の要望
ださうだ。

 昭和20年春の日本は、空襲につぐ空襲、彼らがどんなに旺盛な学習意欲を持つてゐた
としても、学べる時間は極めて少く、ひどい食料難でいつもひもじく、内地人工員との
間にトラブルは起るし、「苦しきことのみ多かりき」の日々だつたのではないか。それ
なのに、契約違反だ謝罪しろ、自分たちの青春を滅茶滅茶にされた、慰謝料よこせ、そ
んな声なぞちつとも聞えて来ず、ただ、工廠時代の「我が師の恩」を思うて「仰げば尊
し」が歌ひたいとは、何と謙虚な、心根やさしき人たちだらう。

「おいおい」

 二冊のパンフレット見終つた私は、台湾少年工とちやうど同年輩のうちの女房を呼ん
で、その内容の説明を始めた。

「彼らが高座工廠で教はつたものの一つに、短歌の作り方があるらしい。何十人もの人
が、当時の心境や、日本への思ひを和歌に托してるんだがね」

 と、「台北市 洪坤山」さんの詠草を例に挙げ、

「北に対き年の始めの祈りなり 心の祖国に栄えあれかし」

 読んで聞かせようとした途端、涙があふれ出し、声がつまつて、説明が説明にならな
くなつた。初め呆ツ気に取られたやうな顔してゐた女房も、わけが分つて涙ぐんだ。老
夫婦二人の愁嘆場がどうにか収つたところで、私は感想の述べ直しにかかつた。

「無謀の戦争やつて、負けて、彼らを見捨てた日本を、『心の祖国』だなんて思つてく
れてる老人の大勢ゐる国が、世界中の何処にあるか。野口さんも書いてるよ。見てごら
ん。『我が国は、こんな人たちに対し何をもつて応えることが出来るのであらうか』と
書いてる。恥知らずの、人非人みたいな奴のことを、『人間の屑』とか『人でなし』と
か言ふがね、日本が、日本の政府が、北京から苦情の出るのを怖れて、彼らに冷淡な対
応しかしないとしたら、『国家の屑』、『国でなしの国』だぜ。中南海の礼儀を弁へぬ
連中に対してこそ、もう少しひややかな態度を示しやいいんだ。それはともかく、此の
秋の大会が、日本側民間有志の手で、せめてあの人たちにとつて思ひ出深い、実りの多
い大会になるといいがな」
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3>> 料理通じて日台友好を─出町淑貴さんの料理教室を青森の地元紙が報道

【9月27日 「台湾の声」 【報道】料理通じて日台友好を】

陸奥新報 9月26日(水)報道

料理通じて日台友好を

 台湾出身・青森在住の出町さん「交流会」立ち上げ草の根活動 県外から「教室」参
加も本県で日本と台湾の交流促進を目的とする団体「青森日台交流会」を立ち上げ、料
理教室などさまざまな活動を通じて草の根から友好を深めようと、活動を続けている台
湾出身女性が青森市浪岡にいる。昨春の団体結成当初四人だった会員は二十人にまで増
え、友情の輪は浪岡地区から県内各地、さらに隣県へと広がりをみせている。

 この女性は、同市浪岡稲村の出町淑貴(スウクエイ)さん(二九)。出町さんは台湾
の新竹(しんちく)出身。台湾に住んでいたころ、仕事先で夫となる泰彦さん(四〇)
と知り合い、十年前から泰彦さんの地元・浪岡地区に住んでいる。

 結成のきっかけは、出町さんがインターネットなどで県内に同郷出身者がいないか調
べたこと。この際日中友好団体は結構あるが、日台友好団体はほとんどないことが分か
り、一念発起。友人らに呼びかけた上で四月に会が組織され、自らは事務局長のホスト
に就いた。

 「料理ぐらいしかできることもないので」と謙遜(けんそん)しながらも、設立当初
から料理教室の開催に力を入れる出町さん。二十四日に浪岡中央公民館で開かれた通算
三回目、今年度第一回の料理教室は、県内のほか能代市から二十人ほどが参加。肉かけ
ご飯など三品を作り、歓談しながら本場の味をみんなで味わった。

 参加は二回目という五所川原市の土岐さくらさん(二四)は「いろんな台湾の家庭料
理を食べられるので、とても楽しい」と喜んだ。

 日台間に国交のない現状を残念がる出町さんだが「青森の人たちに、もっと台湾のこ
とを知ってほしい」と、草の根からの地道な交流を促進しようと意気込んでいる。一方、
泰彦さんは「交流を活発にするのはいいこと。文化や価値観の違いで迷惑をかけること
もあるが、周囲の皆さんに助けられている」と感謝しきりだった。

 同会は料理教室のほかに、県内での台湾関係者の講演会などを事業として行っていく
方針。 
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  • 名無しさん2007/09/29

    台湾につきましては、いつも 気にかけています。 阿川さんの記事は 広く読んでいただきたいですね。

  • 名無しさん2007/09/28

    高座日台交流の会のお話はとても感動いたしました。

    これからもよろしくお願いします。