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【メルマガ日台共栄:第578号】 内田勝久・前「台湾大使」が癌のため7月29日に逝去

2007/07/31



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<<INDEX>>―――――――――――――――――――――――――――――[Vol.578]
1>> 内田勝久・前「台湾大使」が癌のため7月29日に逝去
2>> 陳総統が国連加盟申請書を再提出
3>>【読者の声】群馬の台湾少年工 [前橋市 須田雅江]
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1>> 内田勝久・前「台湾大使」が癌のため7月29日に逝去
   告別式は8月8日午後1時、青山葬儀所で斎行   

 7月29日、台湾大使(財団法人日本交流協会台北事務所長)を務めた内田勝久(うちだ
 かつひさ)氏が前立腺癌のため逝去された。享年69。

 内田大使はイスラエル、シンガポール、カナダの各大使を歴任して外務省を退官。そ
の後、2002年(平成14年)から2005年(同17年)の3年間、日本交流協会台北事務所長と
して台湾に赴任し、歴史に残る日台交流を推し進められた。

 李登輝前総統の来日実現(2004年12月)、天皇誕生日レセプションの開催(2003年12
月)、台湾人への叙勲(2004年4月)、愛知万博における台湾人観光客のノービザ実現
(2005年3月)など挙げれば切がない。交流協会台北事務所に前陸将補の長野陽一氏が主
任として着任したのは2003年1月だったが、日本の自衛隊関係者が台湾に駐在するのは断
交以来初めてのことだった。

 内田大使は台湾が中国の領土の一部ではないことを、具体的な形で次々と実現してい
かれた。その象徴が天皇誕生日レセプションである。これは台湾を「統治の実態」と見
做さなければできない措置である。

 大使として台湾でやってきたことや、日本にとって台湾がいかに大事なところである
かについては、病魔をおして入院先でも執筆した『大丈夫か、日台関係−『台湾大使』
の本音録』(平成18年5月、産経新聞出版)に詳しく書かれている。

 内田大使はその本の「まえがき」で、次のように断言された。

 「私は独断と偏見の謗りを甘んじて受けつつ、政治、経済、文化、人的交流その他あ
らゆる面で台湾が上記三カ国のいずれに較べても『大使』として、勤務しがいのある国
であったことを断言したい」

 台湾から帰国後、さらに日台友好関係を促進させたいと、内田大使は真美子(まみこ)
夫人ともども日本李登輝友の会に正会員として入会された。現在も会員である。帰国直
後の平成17年6月には、機関誌『日台共栄』で「私の『台湾体験』とこれからの日台関係」
と題してインタビューさせていただいた。内田大使の飾らないお人柄を知りえた意味で
も思い出深い出来事だった。

 内田大使は、台湾を「極めつきの親日国家」と述べ、「日台両国は運命共同体と言っ
てよいくらい強い絆で結ばれている」と公言された数少ない外務省出身者であった。日
台関係の基盤は内田大使のご尽力によって磐石とはなったが、国交正常化までに積み上
げていかなければならないことは山ほどある。そのためにも、内田大使には日本全国を
周って日本人を覚醒していただきたいと願っていたが、それももはやできなくなった。
本当に惜しい方を亡くしてしまった。

 内田勝久大使のご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申しあげますとともに、心からご冥福
をお祈りいたします。

 平成19年7月31日

                 日本李登輝友の会常務理事・事務局長 柚原正敬
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内田勝久(うちだ かつひさ) 昭和13年(1938年)、東京生まれ。同36年(1961年)、
東京大学法学部卒業後、外務省に入省。ロンドン総領事、経済局次長、防衛庁国際参事
官を経て、イスラエル、シンガポール、カナダ大使として活躍。外務省退官後、2002〜
2005年の3年間、財団法人交流協会台北事務所長を務める。
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【7月30日 読売新聞夕刊】
内田勝久氏(うちだ・かつひさ=元カナダ大使)29日、前立腺がんで死去。69歳。告別式
は8月8日午後1時、東京都港区南青山2の33の20青山葬儀所。自宅は世田谷区奥沢1の24の6。
喪主は妻、真美子(まみこ)さん。
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2>> 陳総統が国連加盟申請書を再提出
  「台湾は絶対に中華人民共和国の一部ではない」と強調

【7月30日 台湾週報】

 陳水扁総統は7月29日午後、新竹県竹北市で開かれたライオンズクラブ国際協会303複
合地区台湾総会ガバナー協議会議長の新議長引継ぎ式典に出席した。

 陳総統は、ライオンズクラブ台湾総会が「台湾」の名を守り続けるため、本年度より
「台湾正名」専門部会を設立したことを挙げ、「正名」(名を正す)への努力をねぎら
った。

 台湾の国際組織加盟について陳総統は「過去、われわれは『不満だが我慢する』とし
て、さまざまな方法で世界保健機関(WHO)や国連等の国際組織に参加または申請し
てきた。しかし、最終的にわかったことは、中国は国際外交上において台湾に対して「
三光政策」(台湾の友好国をゼロにする、国際政治の場から台湾を抹殺する、中国との
対等な対話のカードをすべて取り上げる)を採っており、台湾を圧迫し、台湾を矮小化
し、台湾を孤立させるその手段はますます激しさを増し、手を緩めることなく、休めた
こともない」と指摘した。

 陳総統はその申請名義について「国際的に、『中華民国』は使うことも変えることも
許されない。外の人はわれわれを『台湾』と呼んでよいが、なぜかわれわれは自己を『
台湾』と呼ぶことができない。『台澎金馬特別関税領域』名義で世界貿易機関(WTO)
に加盟することは国号の変更ではないが、『台湾』の名義で国連加盟申請することは国
号の変更と解釈されてしまっている。このようないじめを我慢することはできない。こ
れ以上自分自身を制限すべきではない。真剣にいままでとは異なる戦略で台湾2,300万の
国民の集団健康的人権と政治的人権を勝ち取る方法を考えなければならない」との認識
を示した。

 陳総統は「7月18日、私は台湾総統の身分で、2,300万人を代表してパン・ギムン(潘
基文)国連事務総長に宛てて提出した台湾の名義で国連の正式加盟を求める申請書は、
却下されたが、失望することはない。7月27日、私はパン・ギムン事務総長と王光亜・安
保理議長に、再度申請書を送付し、安保理および国連総会だけが加盟申請案を決定する
権利を持つことや、1971年10月25日の第2758号決議は国連における2,300万人の台湾の国
民の権利を中国に与えるものではなく、台湾が中国または中華人民共和国の一部である
とは触れられていないことを重ねて伝えた」と述べ、国連加盟申請書を再提出したこと
を明らかにした。

 最後に陳総統は「私には台湾の民選総統としての責任と義務があり、さらに国家の主
権、尊厳、安全を守る使命がある。台湾は主権のある国家であり、中華人民共和国には
隷属していない。それぞれ独立しており、台湾は絶対に中華人民共和国の一部ではない。
外部からの脅しは受け付けず、国家主権が変えられることを容認しない。台湾の総統と
して、私は命をかけてこの国家を守ることを誓う」と強調した。
                         【総統府 2007年7月29日】
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3>>【読者の声】群馬の台湾少年工 [前橋市 須田雅江]

■宋燈山さんのもう一つの故郷

 私が台湾でお会いした台湾少年工のお一人、宋燈山さんのことを少しお話しします。
宋さんは「台湾少年工」の第1期生でした。

 第1期生は、台湾の岡山海軍航空基地で軍事訓練をし、昭和18年(1943年)5月8日に
横浜港へ上陸。海軍工廠で航空学、技術学習を終え各地に派遣を命ぜられました。

 宋さんは群馬県の小泉製作所に派遣(お給料をいただいていたので、宋さんは「就職」
と言っています)、夜間戦闘機「月光」の胴体組み立てに従事しました。その後、名古
屋で戦闘機「雷電」の製造技術を修得し、神奈川県の高座海軍工廠に赴き「雷電」の1
号機製作に携わりました。ここで終戦を迎えました。

 宋燈山さんからのお手紙には第二の故郷、日本に対する熱い想いが綴られています。
「航空技術養成員名儀の募集に対し、多数の応募の中選抜され、誇りを持って祖国の為
に本土に渡ったこと」とも。

 宋さんは今でも「頑張り続けた甲斐も無く、ついに敗戦に追い込まれ残念であります」
とおっしゃるのです。

■台湾少年工と小泉町

 中島飛行機創業者の中島知久平(なかじま ちくへい)は、「経済的に貧しい日本の
国防は航空機中心にすべきであり、世界の水準に追いつくには民間航空産業を興さねば
ならない」と大正5年(1916年)に飛行機研究所を起こしました。中島飛行機と改称した
のは昭和6年(1931年)のことです。

 大戦末期には日本最大の航空機メーカーとなって生産台数25,000機を超え、昭和20年
(1945年)4月には国営化され、第一軍事工廠となりました。

 現在、群馬県太田市大光院、通称「金山の子育て呑龍」に隣接する、太田市富士重工
スバル工場は、旧中島飛行機工場跡地です。ここは「呑龍」を生産していたことから呑
龍工場といわれた場所で、旧本社がありました。15万平方メートルもあり、正面に近代
的な3階建て本館を設けました。太田では戦闘機の「隼」「鍾馗」「疾風」などが生産
されました。

 昭和16年(1941年)、太田製作所と小泉製作所の間に飛行場が開設されています。戦
況が激しくなると、海軍発動機は多摩、機体は小泉製作所で請け負うようになりました。

 小泉工場は132万平方メートルあり、当時、東洋一の規模であり、「月光」「銀河」
「天山」「彩雲」など量産しました。意外と知られていないのは、零式艦上戦闘機(れ
いしきかんじょうせんとうき)、いわゆる零戦(エンジンは中島栄製)の生産について
です。設計した三菱重工業が3,880機に対して、中島飛行機(小泉工場)は6,570機も生
産していました。

 こうした工場、飛行場等軍事施設を有する太田市、邑楽郡(おうらぐん)小泉はアメ
リカ軍機による標的になり、数度の大空襲で多くの死傷者がでました。その犠牲者の中
には動員により集められて軍需工場へ来ていた北海道、東北、東京、そして台湾からの
少年工もいました。

 慰霊碑を知る者は意外に少なく、何のつてもない私にとって探すことは困難でしたが、
古い資料の中にそれらしき記述がありました。行ってみたところ、その慰霊碑は古城祉
にひっそりとありました。

 現在も太田市に残る本館の建物は使用されています。

 当時の資料は没収され、終戦後、アメリカ軍が昭和30年代まで使用していたようです。
 私は関係者ではないので入館は出来ませんでしたので外観のみ写真を撮らせていただき
ました。

 一方、小泉工場の広大な跡地は現在はサンヨー電気工場になっています。

 今日、群馬県東部が北関東有数の工業地区となったのも、戦前、中島飛行機工場の築
かれた基盤があるからこそといえます(参考:『太田市史』『日本航空機総集』)。

 こんな逸話もあります。

 三島由紀夫は東大法学部に入学しますが、すぐに群馬県の中島飛行機小泉工場に勤労
動員に出されて働いていたそうです。

 『太田市史』や『小泉町史』、中島飛行機関連書籍などにも目を通しましたが、驚い
たことに、台湾少年工の記述はどこにもありませんでした。今年開かれた「東毛歴史資
料館特別展−中島飛行機の創立と発展」にも数回足を運びましたが、それらの展示資料
にもありませんでした。特別展でそのことを指摘しましたが、戦後生まれの担当者は認
識がなかったようです。

 平成の大合併により多少の混乱はあるものの、新しく中島飛行機関連の資料館が開設
されます。その折にはぜひ台湾の記述も載せていただきたいと要望を出しました。 

 なお、戦後、マッカーサーの命で財閥解体の煽りを受け、中島飛行機は10数社に解体
されましたが、そのうちの6社が1つに集結して富士重工業なりました。スバル360という
カブト虫のような形の自動車がありましたが、富士重工業自動車部門のシンボルマーク
は六連星(むつらぼし)、その1つ1つが輝く星座であるという意味です。
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