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創刊日:2003-10-06  
最終発行日:2018-02-23  
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最新のコメント

  • 下津井よいとこ2018-02-14 23:08:11

      昨日、竹島の日の集会に関して、島根県で行われる集会には、一般参加者は事前に申し込んだ人に限られると書きました。

     東京での集会(15日)は、誰でも参加出来ます。書き添えておきます。



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  • 下津井よいとこ2018-02-14 23:06:21

      先日投稿した文章に誤りがありました。

     蘭印への「進行」と書きましたが、「進攻」に修正します。

     加藤隼戦闘隊等による「援護」と書きましたが、「掩護」に修正します。

     我が「陸軍」の蘭印への進攻作戦と書きましたが、「陸海軍」に修正します。

      (その他にも誤りがありましたら、お詫びします。)

     

     (スラバヤ沖海戦では、我が海軍は勝ったものの、艦船乗組員の錬度などに問題があることが浮き彫りになったようです。これは改善が図られたのでしょうか。錬度の問題とは異なりますが、東郷元帥は、日露戦争の黄海海戦での苦戦の原因を十分に研究し、日本海海戦に役立てたようです。大東亜戦争の場合はどうだったのでしょうか。

     尚、スラバヤ沖海戦終了後、駆逐艦「雷」が敵兵の救助に力を尽くしたことはよく知られています。)

     

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  • 下津井よいとこ2018-02-14 00:43:56

    竹島の日・記念式典、竹島・北方領土返還要求運動県民大会

     日時 平成30年2月22日1時半から3時半迄

     場所 島根県民会館中ホール

     式典、シンポジウム「竹島問題解決に向けた取組み」など

     (会場内へは、事前申込者以外の一般参加は出来ないようです。島根県下のケーブルテレビ、島根県のホームページ(録画)により映像が配信される予定です。)





    第一回 東京「竹島の日」記念大集会

     日時 平成30年2月15日午後5時から7時

     場所 憲政記念館・会議室

     基調講演 下條正男氏



    (韓国による竹島占拠は全く不当なものであり、何ら正当化の根拠はありません。竹島は紛れもなく我が国国土の一部です。必ず奪還しましょう。)



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  • 下津井よいとこ2018-02-14 00:41:59

    パレンバンデー 記念講演会

    日時 平成30年2月14日午後5時半から午後7時半迄

    場所 憲政記念館講堂にて

    演題 「パレンバン奇襲部隊が果たした役割」

       「石油なくして国防なし(空の神兵から学ぶもの)」

    登壇者 茂木弘道氏、高山正行氏、頭山興助氏、西村眞悟氏、藤井厳喜氏、奥本康大氏、葛城奈海さん、菅家一比古氏

     





     (〈大本営発表〉二月十四日午前十一時二十六分、強力ナル帝国陸軍落下傘部隊ハ、蘭印最大ノ油田地タルスマトラ島パレンバンニ対スル奇襲降下ニ成功シ敵ヲ撃破シテ飛行場其ノ他ノ要地ヲ占領確保スルト共ニ更ニ戦果ヲ拡張中ナリ)

     昭和17年2月14日、我が陸軍の落下傘部隊が、パレンバンに強行降下を敢行し、シンガポール陥落と同日の翌2月15日、完全に占領を達成しました。我が陸軍の蘭印への進行作戦は、蘭印軍に対して圧倒的優位の下に進められたのですが、対処すべき大きな問題として蘭印軍がパレンバンから撤退するに際して油井施設を破壊することが想定されると云うことがありました。その為、パレンバンへ陸上部隊を進める前に、上空からの奇襲作戦が遂行されたのでした。空の神兵の歌詞に「この青空も敵の空、この山川も敵の陣」とあるように、未だ蘭印軍が健在である陣地へ、護身用の拳銃だけを携行して降下するのは、文字通り決死的な作戦でした。

     このパレンバン奇襲作戦には、大東亜戦争初期の南方進行作戦で東西南北八面六臂の援護活動を続けた加藤隼戦闘隊(陸軍飛行第六十四戦隊)などの支援もありました。

     海軍落下傘部隊は、昭和17年1月11日にセレベス島メナドへの降下作戦を成功させました。

     昭和10年代半ば、我が国では「石油の一滴は血の一滴」と言われる程、石油需給の逼迫に悩まされていました。昭和15年から16年にかけて、我が国と蘭印当局との間で石油輸入の交渉(日蘭会商)が行われましたが、アメリカの圧力もあり頓挫しました。アメリカは我が国に対する戦略物資の輸出制限を次第に強化していきました。国際関係の緊迫化を受けて、我が陸軍が、万一の場合に備えて、南方の橋頭保に布石を打っておこうと(逆にアメリカに奪われないように)南部仏印に進駐した後、アメリカは我が国への石油の輸出を全面的に停止しました。

     その石油を産出する油田地帯が、落下傘部隊の活躍により確保されたのでした。17年3月初め迄に、我が陸海軍は蘭印からオランダ軍を完全に排除し、教育制度や軍隊の育成、行政への参加などに関してインドネシア人を支援することになりました。然し、昭和17年夏以降、アメリカ軍の対日反攻が本格化すると、南方海域での制海権が次第にアメリカ軍によって侵されるようになりました。我が国から南方への人員や作戦物資の輸送にあたっては、駆逐艦による強行突破(所謂「鼠輸送」、米軍による呼称では「東京急行」)が図られるようになりました。大型の輸送船による蘭印から我が国への石油輸送は、それにもまして困難になっていくのでした。多大な犠牲を払って油田を確保したものの、制海権が確保出来なかったことから、油田を十分に生かすことが出来なくなってしまったのでした。)





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  • 下津井よいとこ2018-02-09 23:35:00



     先程の「幕末・明治 激動する浮世絵」と書いた箇所で、明治のあとに符号が出てしまいましたが、これは文字化けによるものです。どうも、ハイフン(横棒)を打つと文字化けが起こるようです。書き添えておきます。

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